こんにちは、あゆりんです。
現在、熱戦が繰り広げられている『世界水泳シンガポール大会2025』。
多くのトップスイマーたちが熱い戦いを見せてくれている中に、気になる選手を発見。
実は、柳沢選手は、年齢27歳のサラリーマンスイマーなんだとか。
しかも、練習場所は近所の市民プールという、なんとも庶民的な日本代表選手なんです。

いったいどんな選手なの?
と、興味津々。
そこで今回は、
- 柳沢駿成選手とは、何者なのか?
- 勤務先の「株式会社アクアプロダクト」って、どんな会社?
- プロフィールや経歴は?
など、気になることを徹底調査。
皆さんにもご紹介したいと思います。
少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
柳沢駿成(やなぎさわとしなり)選手とは何者?
平日昼間は、本業のサラリーマンとして働き、終業後や休日に、近所の市民プールやジムで練習を行い、見事に世界水泳の日本代表に選出された柳沢駿成選手。
一体、何者なのでしょうか?
可愛らしい女性の隣でにっこりとほほ笑む男性が、柳沢駿成選手です。
今年1月に結婚し、公私ともに充実した生活を送っているようですね。
この写真を見る限り、日本代表に選ばれるようなすごいスイマーには見えませんが(‥失礼しました)。
そんな柳沢選手が、日本代表に選ばれるほどの頭角を現したのは、2021年11月に開催された「マスターズ水泳」。
久しぶりに競泳の世界に復帰した柳沢選手は、この大会で自己ベストを更新。
これまでは趣味として続けていた水泳に対して、競技として取り組みたいという情熱を取り戻すきっかけとなった大会でした。
試合に向けて練習に取り組む感覚が、とても楽しく、エントリーしてからもワクワクが止まらなかったという柳沢選手。
実績も伴ったことで、さらに、競技への思いは強くなっていったのだそう。
もう一度日本選手権に挑戦したいという思いを強くした柳沢選手は、父親が勤務するスイミングスクールにお願いして、チームに所属。
そこから就業後や休日に市民プールやジムでトレーニングを続け、挑んだ「ジャパンオープン2024」。
その結果は、予選を1位で通過。
その波に乗り、挑んだ決勝では、27秒31という驚異の記録を出し、2位に輝きました。
この記録は、世界水泳の派遣標準記録を上回る見事な記録。
柳沢さんにとっても、当時の自己ベストだったのだそう。
そこからさらにギアを上げた柳沢さんは、2025年3月に「日本選手権」に出場。
この大会の予選で、世界水泳の派遣標準記録を大きく上回り、自身のベスト記録をも更新する27秒15で泳ぎ切り、決勝でも27秒33という記録を打ち出し2位に入賞。
見事に、世界水泳への切符を手に入れました。
そして、いよいよ「世界水泳シンガポール大会2025」の大舞台へ。
ぜひ、リアタイして、素晴らしい泳ぎに酔いしれましょう。
柳沢駿成(柳沢俊成)選手が勤務する「株式会社アクアプロダクト」とはどんな会社?
世界水泳への出場権を獲得し、乗りに乗っている柳沢選手ですが、彼が勤務している「株式会社アクアプロダクト」とは、どんな会社なのでしょうか?
- 会社名:株式会社アクアプロダクト
- 本社所在地:東京都稲城市大丸2231番地APCビル
- 設立年月日:2010年12月27日
- 資本金:4,000万円
- 社員数:61名(2024年12月1日現在)
- 事業内容:アクア事業、プロダクト事業
多材質のプール(ステンレスプール・FRPプール・PVC被覆ステンレスプールなど)の計画・設計・施工・保守を行う会社で、学校プールや競技・競泳プール、ホテルなどの高層階設置プール、大型ウォーターパークなどに多くの実績を持つリーディング・プールメーカーの同社。
また、プールろ過装置のパイオニアとして、飲料水をはじめとした災害用のろ過装置の納入、工業用水や排水処理施設への優れた水処理設備の納入など、業界内でも高い評価を受けている会社です。
そんな「株式会社アクアプロダクト」で、プール関連のろ過装置の営業マンとして勤務している柳沢選手。
今回、世界水泳の派遣選手に決まり、日本代表選手として合宿に参加した柳沢選手は、「自分が本業で訪れたことのある「ナショナルトレーニングセンター」で練習する日が来るとは」と、笑顔で話していた姿が印象に残っています。
今回の活躍により、会社からバックアップを約束されたという柳沢選手。
多くの声援を受け、素晴らしい記録を出してくれることでしょう。
柳沢駿成(やなぎさわとしなり)選手のwikiプロフ&経歴!
- 名前:柳沢 駿成
- 読み方:やなぎさわ としなり
- 生年月日:1997年10月17日
- 年齢:27歳(2025年7月現在)
- 出身地:東京都葛飾区
- 所属:株式会社アクアプロダクト
柳沢選手が水泳を始めたのは、3歳の時。
スイミングスクールでインストラクターをしていた父に、近所のスイミングスクールに連れていかれたのが始まりなんだとか。
それ以来、地道に水泳を続けていたという柳沢選手は、そのスイミングスクールで一般コース→育成コース→選手コースへと順調にレベルアップしていきます。
ですが、記録は伴わず、個人種目で全国大会に出場した経験もなかったのだそう。
それでも学生時代は水泳を続けようと、桐蔭横浜大学に進学。
お世話になったコーチたちから、「お前は続けたら伸びる」と言われていたことが、彼の背中を押してくれたようです。
そのかいあって、大学時代は4年連続でインカレに出場。
しかし、出場はするものの、予選敗退・最下位など、記録は振るわず、苦い経験を重ねていたようです。
そんな中、先輩に勧められて挑戦した50m平泳ぎ。
大学3年生の2018年11月に、初めて日本選手権標準記録を突破し、2019年4月の日本選手権に出場することができたのだそう。
その後、大学4年生だったこともあり、インカレ出場後に水泳部を引退し、就職活動を開始。
そこで出会った「株式会社アクアプロダクト」に入社し、今現在も勤務を継続しています。
大学卒業後、一時は水泳から離れていた柳沢選手でしたが、会社と家の往復であっという間に過ぎていく時間に不安を覚え、趣味として水泳を再開。
市民プールやジムでのトレーニングを行い、オンとオフのメリハリをつけた生活を楽しんでいたようです。
そんな趣味だった水泳で競技に参加しようと決意したのは、前述した2021年の「マスターズ水泳」。
そこから、柳沢さんの復活劇が始まり、いよいよ日本代表選手として「世界水泳」に挑む瞬間が訪れようとしています。
頑張れ柳沢駿成選手!頑張れニッポン!!
まとめ
いかがでしたか?
今回は、現在熱戦が繰り広げられている『世界水泳シンガポール大会2025』で、50m平泳ぎの日本代表選手として活躍中の柳沢駿成選手に注目してみました。
- 現役の営業マンとして働く傍ら、趣味として続けていた水泳で日本代表選手に選ばれた柳沢選手。
- そんな彼が練習場にしていたのは、近所の市民プールでした。
- 平日の昼間は、株式会社アクアプロダクトでサラリーマンとして働き、就業後や休日を利用して水泳に打ち込む日々。
- マスターズ水泳に出場したことをきっかけに、競泳への情熱を取り戻しました。
今後のさらなる飛躍が大いに期待されています。
これからの活躍からも目が離せませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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