こんにちは、あゆりんです。
2025年7月1日放送の『プラチナファミリー』で、築300年の豪邸を紹介してくれた野口絵子さん。
とっても可愛らしい方ですよね。
そんな絵子さんの父親は、あの世界的にも有名なアルピニストの野口健さん。
絵子さんも、父親の背中を追いかけ、登山家、環境活動家として活躍中なんだとか。
一体どんな方なの?
と、気になり調べてみたところ・・・。
さらに、「絵子」さんというお名前、珍しいですよね。
なんて読むの?
由来は?
など、気になってしまったので、こちらについてもご紹介しちゃいます。
少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
【wiki】野口絵子さんの経歴がすごい!
- 名前:野口 絵子
- 生年月日:2004年2月21日
- 年齢:21歳(2025年6月現在)
- 出身地:東京都
- 学歴:世田谷区立桜町小学校、立教英国学院中学部(父親の母校)、全寮制の高校へ進学(ニュージーランド)、慶應義塾大学
- 肩書:登山家、環境活動家
今現在、大学3年生の絵子さん。
登山家、環境活動家として活躍する絵子さんが、登山を始めたのは、9歳のころ。
父親の野口健さんと一緒に、冬の八ヶ岳に行ったのが初めての登山なんだとか・・・。
初めての登山が、厳しい山として知られる冬の八ヶ岳というのが、さすがって感じですよね。
いくら世界的アルピニストの父親と一緒だとはいえ、9歳の絵子さんにとっては、かなり過酷な経験だったのではないでしょうか。
その後、学校の長期休みのたびに、日本はもちろん世界の名峰を制覇していったという彼女。
そんな絵子さんは、14歳の時に、ネパールのチュクンリ(ネパールクンブ地方にある標高5,546メートルの名峰)やカラパタール(エベレストの展望台と呼ばれている)の登頂に成功!
実は、父親の野口健さんでさえも、ヒマラヤにデビューしたのは19歳の時だったのだそう。
絵子さんは、14歳でヒマラヤデビューしてるので、父親の記録よりも5年も早い登頂になります。
いくら血統とはいえ、すごすぎます。
さらに、絵子さんの凄いところは、ただ登山をするだけではなく、社会貢献活動もあわせて行っているところ。
15歳でヒマラヤに再挑戦した時には、父親が代表を務める「NPO法人ピークエイド」のサポートで、ヒマラヤの子供たちにランドセルを届けたのだそう。
この活動をきっかけに、絵子さんは、環境活動家としても活躍。
2019年には、登山家、環境活動家としての活動が評価され、株式会社ネオジャパンが広告モデルに起用。
メディアへの露出も増えるなど、認知度がアップしていきました。
また、コロナ禍の外出自粛が叫ばれていたころには、『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターとしても活躍。
世界的にロックダウンなどが行われていた中、ニュージーランドに住んでいた絵子さんが現地ハンターとして抜擢されたのがきっかけ。
この時は、まだ高校生だった絵子さんですが、年齢を感じさせない堂々としたミステリーハンターぶりで、瞬く間に人気ハンターに。
その後、レギュラーハンターになり、計7回の出演を果たしました。
現在、ヒマラヤを中心に社会貢献活動を行っている彼女ですが、日本でも富士山での清掃活動や災害支援など、幅広い現場で活躍中。
今後の活躍からも目が離せませんね。
野口絵子さんの名前の読み方や由来は?
「野口絵子」さんというお名前。
初めて見た時には、「なんて読むの?」と少し戸惑ってしまいました。
「野口絵子」さんの名前の読み方は、「のぐちえこ」さん。
そのまま読んでよかったんですね。
考えすぎてしまいました。
環境活動家としても活躍する絵子さんには、ぴったりのお名前ですね。
響きも可愛らしくて、親しみを感じます。
一体、どんな由来があるのでしょうか?
絵子さんの名前の由来について、父親の野口健さんが、インタビューに答えていました。
「画家だった祖母に敬意を表し“絵”の文字をもらい、また“エコロジー”の語源の思いも込めて“えこ”です」
引用元:zakⅡ「登山家・野口健、絵子 父の夢と希望を体現し越えていく決意の娘」
父親の愛情が込められた素敵なお名前を持つ絵子さん。
ご本人も、「とても気に入っています。だって、珍しい名前だもん。」と笑顔で語っていましたよ。
素敵な親子ですよね。
ご両親の愛情を受けて、自分がやりたい道を突き進んできた自身が満ち溢れているようです。
そんな意志の強さが、表面にも表れているのでしょう。
そんな素敵な野口絵子さんの魅力に、すっかり魅せられてしまいました。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、2025年7月1日放送の『プラチナファミリー』で、築300年の豪邸を紹介してくれた野口健さんの娘・野口絵子さんについて、調査してみました。
- 9歳から登山家の父と一緒に、登山を始めたという絵子さん。
- 初めて上ったのが冬の八ヶ岳というのですから、さすがというか、すごすぎますよね。
- その後も、海外の学校に留学しながら、14歳でヒマラヤの登頂に成功。
- 父親よりも5年も早い成功だと言います。
- そして、現在は、父親に勝るとも劣らない登山家、環境活動家として活躍中。
今後のさらなる飛躍が楽しみですね。
これからの活動も応援しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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