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SIAMSHADE(シャムシェイド)裁判トラブル!?何があった?時系列は?

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こんにちは、あゆりんです。

早朝、日課のニュースチェックをしていたら、衝撃的なニュースが飛び込んできました。

かつて、絶大な人気を誇り、惜しまれながら解散してしまった人気ロックバンド「SIAM SHADE」に裁判トラブルが発生しているのだとか。

解散後も、何度か再結成され、当時と変わらぬ演奏を聴かせてくれた「SIAM SHADE」。

今でも、良好な関係性が継続していたと思っていたのに、まさかの泥沼裁判トラブルが起こっていたとは!

今日のニュースでは、メンバーのDAITAさんが、他のメンバーを訴えたことが公表されました。

実は、以前から、裁判を含む様々なトラブルに見舞われていたのだそう。

そこで今回は、人気ロックバンド「SIAM SHADE」の裁判トラブルについて、徹底調査!

  • 何があったの?
  • 時系列は?

など、気になることをまとめてみました。

少しでも興味がある方はぜひ、最後までお付き合いください。

目次

SIAM SHADE(シャムシェイド)裁判トラブル!?

今日のニュースで報じられていたSIAM SHADE」のメンバーDAITAさんにより、他のメンバー4人を相手取り、裁判が提訴されたというニュースから、泥沼裁判トラブルが明らかになりました

今回、DAITAさんが裁判で求めている内容は、次のとおり。

  • DAITAさんが作曲・編曲を担当した計38曲の楽曲の演奏差し止め
  • 「SIAM SHADE」名での活動の差し止め

訴状には、「被告らは、別紙記載の楽曲を使用してはならない」「被告らは、SIAM SHADEの名称にて演奏活動、芸能活動を行ってはならない」と記載。

2025年8月27日に、上記の内容が記載された訴状東京地裁に提出したのだそう。

  • DAITAさん以外の4人のメンバーが、DAITAさんを除外する形でバンド活動を継続し、新たなギターメンバーを加えた5人でライブを実施。
  • しかも、そのライブでは、同じく絶大な人気を博していたロックバンド「SOPHIA」とのコラボユニット「SIAM SOPHIA」を結成。

あたかも、DAITAさんがSIAM SHADEを脱退(すでに解散しているため、この記載が適切かどうかは難しいところですが・・・)し、新たなメンバーを加えた新生SIAM SHADEとして始動した」ことを誤認させるような形だったとDAITAさんが、異論を唱えています

確かに、事情を知らない人からすれば、新規メンバーを加えて、SIAM SHADEが再始動したのかなと思っても仕方がないですよね。

このようなメンバー4人の活動に対して、危機感を抱いたDAITAさんは、「本来のバンドアンサンブルであるSIAM SHADEとは異なるSIAM SHADEを、新たなSIAM SHADEとしてスタートさせ、さらに、当時の楽曲も演奏するのではないか?」と感じたのだそう。

そして、その疑念が確信に変わる前に、自身が作曲・編曲を担当した楽曲計38曲の演奏差し止めと「SIAMSHADE」という名称の差し止めを求める裁判を起こすに至ったのだそう。

これだけでも、かなりの泥沼裁判トラブルですが、事の発端は、もっと以前からくすぶっていたのだとか。

次の項目では、裁判トラブルにまで発展したSIAM SHADEのトラブルについて、時系列で整理してみました。

SIAM SHADE(シャムシェイド)裁判トラブルを時系列で整理!

1993年結成・1995年デビュー

1993年にSIAM SHADEを結成。

メンバー3名が別のバンド名で活動していたところに、DAITAさんが入り、SIAM SHADEとしての活動を開始した彼ら。

その後、もう一人が加わり、5人体制となったSIAMSHADEは、1995年にメジャーデビューすることが決定。

ともに、デビューするまでの苦しい期間を闘い抜き、デビューという大きな夢を勝ち取った彼らにとって、この5人のメンバーで活動を行うことは、とりわけ大切なことだったのだそう。

のちのライブでも、常に「5人でSIAMSHADEです」と言い続けてきたほどに・・・。

結成当初から、この5人体制のSIAM SHADEこそが唯一無二のバンドだと確信していたというDAITAさん。

DAITAさんにとっては、この5人以外でSIAM SHADEを名乗ることも、演奏を継続することも考えられることではなかったのかもしれません。

その証拠に、DAITAさんは、解散後の自身のソロライブでは、SIAMSHADEの楽曲は極力演奏しないようにしてきたのだそう。

オリジナルメンバーの5人がそろわなければ、SIAM SHADEの演奏は慎むべきだという強い信念を持っているようです。

2002年3月解散

SIAM SHADEの代表曲と言っても過言ではない「1/3の純情な感情」が80万枚というヒットを記録し、一躍人気バンドにのし上がったSIAM SHADE。

ですが、わずか10年足らずで解散

当時は、人気バンドの早すぎる解散発表に多くのファンが涙を流しました。

解散理由については、前向きな理由が伝えられていたと記憶していますが、実は、この解散劇の裏には度重なる暴力が隠されていたのだとか。

1999年4月、鹿児島で開催された全国ツアーのライブ後半で発生した栄喜さんによるメンバーやスタッフに対する暴行問題

これにより、メンバーの一人が入院する事態にまでなり、翌日の熊本公演が中止に・・・。

2001年11月、翌月に夢だった武道館ライブを控えた時期にそのトラブルは起こったのだそう

プロモーションのために訪れた名古屋で発生したという暴力事件。

バンドやメンバーの将来について、栄喜さんがチーフマネージャーに激怒し、一方的に暴行を加える事件が発生。

その場にいたメンバーやスタッフらを巻き込み、大変な乱闘になってしまったのだそう。

チーフマネージャーは眼底骨折の重傷を負ったほど。

この問題は、関係者間に瞬く間に広がり、当時の所属事務所・レーベルの幹部が大激怒する事態に。

数日後、話し合いの席が設けられたそうですが、レーベルの代表から「大恩ある一番大切な人の意大けがを負わせてしまった事実は大きい」といわれ、その場で即刻解散を申し渡されたのだそう。

そして、2002年3月、夢の舞台だった武道館で解散ライブを行うという、悲しい結末を迎えてしまいました。

その後、2007年から2016年にかけて、4度にわたる復活ライブを開催しているSIAM SHADE

  • 2007年には、SIAM SHADEの活動を長らく支えていたチーフマネージャーの早すぎる死を悼んだ追悼ライブ
    (実は、このチーフマネージャーが、SIAM SHADEが解散するきっかけとなった2001年の暴行事件の被害者だったとのこと。)
  • 2011年には、日本中が衝撃と悲しみに包まれた東日本大震災の発生を受けてのチャリティーライブ
  • 2013年には、チーフマネージャーの7回忌公演ツアーを、全国7か所で開催。
  • 2015年から2016年にかけて行われた、デビュー20周年の記念ライブ

このような復活ライブを見る限り、私は、良好な関係が継続していることを疑うことはありませんでした。

ですが、この復活ライブの裏では、さらなる泥沼裁判トラブルが進行していたというのです。

2018年DAITAさんに内容証明が届く

内容証明の中身は、グッズ販売や限定復活した際の収益金の使い道をめぐるもの

具体的には、

  • 2011年に開催された東日本大震災の発生に伴うチャリティーライブの収益を寄付した一般社団法人により、「震災復興関連とは異なった事業に流用されているのでは?」という使い道の確認
  • ライブやグッズ販売の収益の管理業務と、各メンバーへの分配業務を担うDAITAさんの個人会社への「中抜きをしているのでは?」という疑念に対する使い道の確認

を求める内容だった様子。

もちろん、ふたつの疑念に対してDAITAさんサイドは疑惑を否定。

しかし、他の4人のメンバーは納得するはずもなく、裁判へ発展。

2021年DAITAさんを相手取り損害賠償請求を提起

この時、DAITAさん以外のメンバーが裁判を起こしたの件数は2件。

  • 1件は、DAITAさんに対して、グッズ販売などの収益を公平に分配することなく中抜きし、不当に利益を得てきたことに対する損害賠償請求訴訟
  • もう1件は、東日本大震災の支援団体に対し、寄付金の返還を求める訴訟

支援団体に対する法廷闘争は、1年後の2022年に判決が下され、結果的には、原告側の敗訴

この支援団体は、一見、東日本大震災の復興とは無縁と思われるネイルサロン事業を展開していましたが、ネイルサロンを立ち上げたこと自体が被災者の雇用創出を目的としたものだったと裁判所が認定。

したがって、寄付感は目的に応じて正しく利用されていたと判断されました。

一方、DAITAさんに対する損害賠償請求は長期間に及び、2024年10月に和解に至っています。

これにより、泥沼裁判トラブルがようやく沈静化したのかと思いきや、この後の、DAITAさん以外のメンバーによる行動がトラブルをさらに泥沼化させる結果に・・・。

2024年11月リーダーNATCHINの公式サイトで和解が成立したことを公表

DAITAさんにとっては、何の相談もなく、訴訟が行われていたことが突然明かされたというのです。

その内容は、こちらを参照してみてくださいね。(NATCHIN OFFICIAL WEB SITE「ファンの皆様へ」

確かに、DAITAさん以外の4人のメンバーによる連名で発表されているこちらの記載。

円満に解決したことを伝えながらも、今後は、DAITAさん以外の4名で活動することが多くなるかもしれませんと明記。

この公表を受けて、SIAM SHADEの音楽に対する今後の扱われ方に危機感を抱いたDAITAさん

実は、この裏には、もう一つ秘密裏に進められていた出来事がありました。

「SIAM SHADE」という名称の商標登録申請を、メンバーの栄喜さんが単独名義で特許庁に提出

一人のメンバーがバンドの名前を独占使用しようとしていることまで明らかになってしまったのです。

結果的には、「SIAM SHADE」というバンド名の権利者であるメンバー全員の同意が得られていないと、拒絶されたようですが・・・。

これらの動きを受け、DAITAさん側は、今回の裁判を決断。

今後、SIAM SHADEの音楽が聴けなくなるかもしれないところまで発展してしまった裁判トラブル。

どんな結末にたどりつくのか、最後まで見届けたいと思います。

まとめ

いかがでしたか?

今回は、人気ロックバンド「SIAM SHADE」に起こっている裁判トラブルについて深堀してみました。

  • デビュー直後から、爆発的人気を博し、瞬く間に人気バンドにのし上がったSIAM SHADE。
  • 1995年にデビューし、人気絶頂の中、2002年にスピード解散に至ってしまった彼ら。
  • 前向きな解散だと思っていましたが、その裏には暴力トラブルが隠されていたとは・・・衝撃。
  • SIAM SHADEのデビューから、解散、泥沼裁判トラブルについて、時系列で紹介。

まだまだ、長引きそうな泥沼裁判トラブル。

今後の裁判の行方が気になります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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