こんにちは、あゆりんです。
2025年12月7日に開催された第39回NAHAマラソン(沖縄マラソン)、今年はレースそのものよりも「人間の鎖」炎上騒ぎの方が話題になってしまいましたね。
X(旧Twitter)のタイムラインであの動画を初めて見たとき、正直「これはちょっと危ないな…」と背筋がヒヤッとしました。
でも同時に、
- 「これ、昔からある“あの演出”だよね?」
- 「なんで今年に限ってここまで燃えてるんだろう?」
- 「そもそも他の大会でも“人間の鎖”ってあるの?」
とも思ったんですよね。
なのでこの記事では、
- 今年のNAHAマラソン2025で実際に何が起きたのか
- 本当に“炎上”と言えるレベルなのか
- 過去のNAHAマラソンや、他の大会でも人間の鎖は行われていたのか
- その上で、一ランナーとしてどう感じるか/何を変えた方が良さそうか
を、できるだけ事実ベース+ちょっと感情混じりで整理してみます。
少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
NAHAマラソン2025の基本情報と「今年の人間の鎖」
今年の大会のざっくり概要
まずは今年のNAHAマラソン2025の全体像から。
- 大会名:第39回 NAHAマラソン
- 日時:2025年12月7日(日)
- コース:平和祈念公園コース(日本陸連公認)42.195km
- スタート:9:00(那覇・国道58号 明治橋交差点前)
- ゴール制限:15:15(奥武山陸上競技場)
- 制限時間:6時間15分
参加人数はメディアによると、
- 出場者:2万3859人
- 完走者:1万6808人(完走率70.45%)
完走率70%ちょっと。
NAHAはもともとアップダウン+暑さで完走率が低めの大会なので、今年も“ナハらしい厳しさ”の中での70%台だったようです。
問題になった「人間の鎖」はどこで行われた?
今年炎上している“人間の鎖”は主に2カ所です。
① 中間地点・平和祈念公園(第1制限地点)
場所は糸満市摩文仁・平和祈念公園。
距離で言うと21.3km、中間地点であり、第1制限地点でもあります。
- 制限時刻:12時15分
- そこまでに通過できないと、その先へ進めず“強制リタイア”
今年の様子について、沖縄タイムス公式Xはこう投稿しています。
午後0時15分、第1制限地点の糸満市摩文仁の平和祈念公園では、豊見城、浦添、知念高校の野球部員らが「人間の鎖」でジョガーの走りをせき止めました!
動画を見ると、高校生たちが腕を組んで横一列になり、制限時間ピッタリのところでスーッとコースを塞いでいく。
ぎりぎりで駆け抜ける人、間に合わず止められて膝に手をつく人…。
その「ザ・NAHAマラソン名物」みたいなシーンがそのまま切り取られています。
② ゴール直前・奥武山陸上競技場のゲート前
もうひとつが、ゴール目前の“ラスト関門”です。
- 場所:奥武山陸上競技場のゲート前
- 制限時刻:15時15分(制限時間6時間15分ジャスト)
沖縄タイムスのInstagramリールにはこんなキャプションがついていました。
午後3時15分、6時間15分の制限時間を迎えました。
奥武山陸上競技場への門が閉ざされ、「人間の鎖」がジョガーの行方を阻みました。
消沈するジョガーに周りから拍手や「頑張った!」の声が贈られました。
映像では、
- 鉄のゲートがガシャッと閉まる
- その前に赤いシャツのスタッフたちが横一列に並び、“人間の鎖”で物理的にストップ
- 目の前に競技場とフィニッシュゲートが見えているのに、ほんの数秒差で前に進めないランナーたち…
という、かなり劇的な絵になっています。
この「目の前にゴールがあるのに、高校生やスタッフが壁になって止める」構図が、今回の炎上の大きな火種になりました。
なぜ今年、ここまで「人間の鎖」が炎上したのか
高校生&ボランティアを“物理的な壁”にしている危うさ
今年の炎上で一番多かったのは、
「高校生を壁役にして、疲れ切った大人ランナーを止めさせるのは危険では?」
という声でした。
- ランナー側は42km走ってきて、体も頭もヘロヘロ
- 「あと数秒、あと数メートル」と思うと、無意識に前へ出てしまう人が出るのも、正直めちゃくちゃわかる
- そこをまだ体も軽い高校生が“ガチ壁”として受け止める
X上の投稿でも、
- 「ぶつかってて見てるだけで怖い」
- 「ボランティアの子に体当たりしてるランナーがいて危険すぎる」
といったコメントがいくつも引用されています。
今回の炎上まとめサイトでも、映像を見た人たちが「危ない」「高校生にやらせるのは違う」と指摘しているのが分かります。
見ていてヒヤっとするのは、
- 高校生は運営に言われた役割を黙々とこなしているだけ
- でも、もし接触事故が起きたら怪我するのはほぼこっち側
- さらにネットでの矢面にも立たされてしまう
という構図なんですよね。
個人的には、ここが一番モヤっとしました。
「人間の鎖」という言葉の重さ(特に沖縄という場所で)
もう一つ、沖縄ならではの事情として効いてしまったのが、
「人間の鎖」という言葉選びそのもの
です。
沖縄では、基地問題や平和運動の文脈で「人間の鎖」が象徴的に使われてきました。
今回の件をまとめた記事でも、
- 「『人間の鎖』を使いたいだけの“あの頃の新左翼しぐさ”に高校生を巻き込むな」
- 「沖縄という場所柄、反戦平和運動の象徴みたいな言葉を、こんな形で軽く使うのはどうなんだ」
といった強めの批判が紹介されています。
たぶん運営もメディアも、そんな深い政治的意味まで考えて使っていたわけではないと思うんですが、場所が沖縄な以上、それなりの重みを持って受け取られてしまうのも事実。
「ちょっとカッコいいフレーズだから」くらいのノリで使っていたなら、さすがにそろそろ見直した方がいいんじゃないかな…と感じました。
“テレビ映えする名物演出”が、当事者にはキツすぎる
昔からそうなんですが、メディアはこの“人間の鎖+門が閉まる瞬間”を「NAHAマラソン名物のドラマチックなワンシーン」として扱ってきました。
たとえば、RBC琉球放送は2023年の第37回大会で、
「まもなく最終制限!コスプレランナーの皆さんは『人間の鎖』『鉄のゲート』を越えた?!」
というタイトルで、この場面を“見せ場”として報じています。
沖縄タイムスも、2024年大会の特集で、
「人間の鎖や柵に阻まれたジョガー、リベンジ誓う」
と、足切りにあった人たちの悔しさを“ドラマ”として切り取ってきました。
さらに、NAHAマラソン公式サイト自身が、2022年の総集編動画を
「制限時間カウントダウンからの『人間の鎖』あり!」
と宣伝しているので、運営側も「名物演出」として前面に出してきたのが分かります。
ドラマとして見れば、たしかにすごく盛り上がる。
でも、当事者からすると
「テレビの“美味しい画”のために切られてる感」
も、どうしても出てきてしまいます。
今回の炎上まとめでは、
「テレビや新聞記事のネタにはなるかもしれないけど、ここで切られるのはあまりに無情」
という声も引用されていて、この“演出と当事者の感情のギャップ”が、今年一気に噴き出した印象です。
SNS時代の“見せ方”が、もはや時代に合っていない
もう一つ大きいのは、映像がそのまま切り取られて拡散される時代になったこと。
- 沖縄タイムスのX・Instagramが「人間の鎖で走りをせき止める高校生」「門が閉ざされる瞬間」をバンバン発信
- それがまとめサイトや他メディアに拾われて、あっという間に全国へ
という流れを見ると、
「映像としては“おいしい”けど、世間の感覚とはズレてきている演出」
が、2025年になってついに限界を迎えた、という感じもします。
実は“人間の鎖”はNAHAマラソンの長年の「伝統」だった
ここまで読むと、
「運営、今年急にどうした?」
と思うかもしれませんが、実は今年突然始まった演出ではありません。
調べてみると、少なくとも10年以上前から、NAHAマラソンでは人間の鎖が「名物」として扱われてきました。
2010年:QABが「阿波根交差点 人の鎖」を特集
QAB(琉球朝日放送)の2010年の特集記事には、こんな描写が出てきます。
- 33.1km地点・阿波根交差点で「人の鎖」(午後2時)
- 泣き出すランナー、リタイアバスに並ぶ人たち
- 最後の足切りとして午後3時15分に門が閉まり、「眠れないね、くやしくて、本当くやしいよ」と語るランナー
つまり、
- 中間地点だけでなく、
- 終盤の阿波根交差点、
- ゴール前の門
まで含めて、「人(ボランティア)が横一列に並んで関門を閉じる」スタイルは、2010年の時点で既に“NAHAの風物詩”として放送されていたわけです。
2019年:沖縄タイムスが「高校生の人間の鎖」を記事化
2019年の第35回大会では、沖縄タイムスの記事に、「高校生による人間の鎖」で封鎖される様子が、報じられていました。
もうこの頃には、
- 中間地点・平和祈念公園+高校生の人間の鎖
- ゴール前ゲートの足切り
という今年とほぼ同じ構図が出来上がっていたことがわかります。
2022〜2024年:公式も「人間の鎖」を推し演出として紹介
ここ数年はさらにわかりやすくて、
2022年の参加者ブログには「人間の鎖を突破し(ダメなやつ)後半戦へ」という記述があり、中間地点の“すり抜け攻防戦”をやらかした本人のレポが残ってます。
NAHAマラソン公式サイトは、2022年総集編動画を 「制限時間カウントダウンからの『人間の鎖』あり!」 としてPR。大会自らが“名物演出”と位置付けているのがあからさまです。
2024年のRBCニュースでは、中間地点の平和祈念公園で、知念高校野球部が腕を組んで人間の鎖を作り、制限時間を超えたランナーを止める様子が放送されています。
同じく2024年の沖縄タイムスは、「人間の鎖や柵に阻まれたジョガー、リベンジ誓う」という記事で、足切りされたランナーたちの声を紹介しています。
つまり、今回の炎上の主役である
- 中間地点の高校生“人間の鎖”
- ゴール直前ゲート+人間の鎖
は、少なくとも2010年代から続くNAHAマラソンの“長年の演出”であり、むしろ近年は「名物」としてどんどん推されてきた、という流れなんですよね。
他のマラソン大会でも「人間の鎖」はあるのか?
沖縄の別大会:尚巴志ハーフマラソン
NAHAだけの特殊文化かと思いきや、沖縄の他大会でも“人間の鎖”は登場しています。
たとえば、南城市で行われる尚巴志ハーフマラソン。
Instagramには、
「制限時間間際の人間の鎖。ギリギリ入れた人と入れなかった人の境目 → ドラマですね。#尚巴志ハーフマラソン」
のような投稿がチラホラ上がっていて、こちらも関門付近で人の列を作って締めるやり方をしていることがわかります。
「うわ、ここも人間の鎖か…」と、ちょっと複雑な気持ちになりますが、少なくとも“沖縄の大会ではよく見かける光景”と言ってよさそうです。
宮古島トライアスロンにも似た文化?
今回の炎上を見た人のX投稿には、
「宮古島トライアスロンもこのやり方だけど、沖縄の方ってこれ好きなのかな」
というコメントもありました。
公式資料に「人間の鎖」とまでは書かれていませんが、少なくとも参加者の肌感覚として“似たような関門の締め方”があることがうかがえます。
とはいえ、全国的に見ればやっぱり“珍しい演出”
じゃあ日本中どこでも人間の鎖だらけかというと、そんなことはなくて、
- 多くの大会ではコーンやバー、テープ、柵、パトカー、収容バスなどで関門を締める
- スタッフが横一列に並ぶことはあっても、ここまで「人間の鎖」という名前とセットで“名物化”している大会は少ない
という印象です(いろんなレースレポや要項を見ての感想レベルですが)。
なのでこの記事では、「沖縄(特にNAHAマラソン)では、人間の鎖による関門演出が長年続いてきた」というくらいの言い方にとどめておきます。
全国的な“常識”というよりは、かなりローカル色の強い文化と考えた方が近いと思います。
私が思うこと:関門は必要。でも、やり方は変えられるはず
ここからは完全に個人的な意見ゾーンです。
関門そのものは必要だと思う
まず前提として、「どこかでレースを切らなきゃいけない」のは事実だと思っています。
- 交通規制をいつまでも続けるわけにはいかない
- 医療体制・ボランティアの拘束時間にも限界がある
- 日没や気温、安全の問題もある
NAHAマラソンも、
- 第1制限地点:平和祈念公園 21.3km(12:15)
- 第2制限地点:那覇看護専門学校 34.3km(14:10)
- フィニッシュ:奥武山陸上競技場 42.195km(15:15)
と、関門を明確に設定しています。
「ここまで来たんだからゴールさせてあげてよ」と思う気持ちは本当にわかる。
でも、どこかで線を引かないと大会そのものが成り立たないのも現実です。
なので、
「関門なんて全部なくしてしまえ」という議論には正直賛同しづらい
というのが本音です。
でも“人間バリケード方式”は、そろそろ限界じゃない?
そのうえで言いたいのは、
「人間の鎖」という“身体を張って止める方式”は、もう見直していいのでは?
ということ。
理由はシンプルで、
- 物理的に危ない
- ランナー側は極限状態&前しか見えていない
- 止める側は高校生やボランティアで、格闘技経験者でもなんでもない
- 接触事故が起きたら怪我するのはほぼ後者
- 矢面に立つのが高校生・ボランティアになってしまう
- 本来、批判されるべきは「こういう演出を設計した大人たち」
- なのに、映像だけ切り取られると「ランナー vs 高校生」という構図にされてしまう
- “名物演出”として消費されることで、当事者のしんどさが置き去りになる
- メディア的には「ドラマチックでおいしい画」
- ランナー的には「テレビのネタにされながら切られる」つらさもある
ここまで来ると、
「伝統だから」「名物だから」では乗り切れないラインに来ている
と感じます。
代わりにできそうなこと(勝手に提案)
じゃあどうするの、という話ですが、個人的にはそんなに難しい話ではないと思っていて、例えば…
✔ 物理バリケード+大人スタッフだけにする
- 「人間の鎖」の代わりに、コーンやバー、ロープ、仮設フェンスを使って物理的にコースを区切る
- その手前に少数の大人スタッフが立ち、言葉とジェスチャーで制止する
- 高校生・ボランティアはコース脇で応援&見守り役に専念してもらう
これだけでも、安全性はずいぶん変わります。
✔ 「人間の鎖」という名前をやめる
- 呼び方を「スタッフライン」「関門ライン」くらいにシンプルにする
- 特に沖縄という土地柄、「人間の鎖」という言葉は、政治・平和運動の文脈をどうしても想起させるので、あえて避けた方が無難
言葉の力って、思っている以上に大きいので…。
✔ ドラマの“撮り方”を変える
- 関門のシーンを遠目から撮る(ランナーの顔をクローズアップしすぎない)
- 泣いている人の顔にズームして煽るような編集はやめる
- 「リベンジを誓う」ストーリーも、当人の同意があって初めてコンテンツにするくらいの慎重さがあってほしい
ドラマをゼロにしろとは言わないけど、「絵になるかどうか」より「関わる人たちが後から見てもしんどくならないか」を、ちょっと優先してほしいなと思います。
ランナーの気持ちにも、ちゃんと寄り添いたい
ここまで運営・メディア側へのツッコミが多くなりましたが、一方で、この“ギリギリで切られる悔しさ”が、翌年のモチベーションになっている人もいるんですよね。
- 2019年の記事では、「ここが目標だった。今日はリタイアするが、来年は完走したい」と、中間地点をギリギリ通過したランナーの声が紹介されています。
- 2024年の「人間の鎖や柵に阻まれたジョガー、リベンジ誓う」記事でも、足切りされた人たちが「来年こそは」と前を向いている姿が描かれています。
もし自分が当事者だったとしても、
- その瞬間はたぶんめちゃくちゃ悔しいし、泣くと思う
- でも数日たったら「来年こそ、この鎖を越えてやる…!」と思い直すかもしれない
その“悔しさを糧にする”感覚もまた、マラソンの魅力の一部なんですよね。
だからこそ、
ランナーの「ドラマ」や「ストーリー」は大事にしたい。でも、そのために誰か(高校生やボランティア)の安全や尊厳を犠牲にするようなやり方は、やっぱり違う。
この線引きが大事だな、と強く感じます。
まとめ:伝統そのものじゃなく、「やり方」をアップデートしよう
最後に、ここまでをざっくり整理すると…
- NAHAマラソン2025で炎上した「人間の鎖」は、中間地点(平和祈念公園)とゴール前ゲートで行われた
- 中間地点では、豊見城・浦添・知念高校の野球部員らが腕を組んで“人間の鎖”を作り、12:15の制限時間でコースを封鎖
- ゴール前では、15:15の制限時間で門が閉まり、スタッフによる人間の鎖がランナーの行方を阻んだ
- これは今年突然始まったものではなく、少なくとも2010年頃から続くNAHAマラソンの“名物演出”だった
- 2010年QAB特集に「阿波根交差点 人の鎖」「最後の足きり」描写
- 2019年沖縄タイムスに「高校生による人間の鎖で封鎖」の記述
- 2022年総集編では、公式自ら「人間の鎖あり!」とPR
- 2024年RBCニュースでも知念高校野球部の人間の鎖を紹介
- 沖縄の他大会(尚巴志ハーフマラソンなど)でも“制限時間間際の人間の鎖”がドラマとして語られている
- その上で、今年は
- 高校生を前面に出した壁役
- 「人間の鎖」という言葉の政治的・歴史的な重さ
- メディアによる“ショーアップされたドラマ”の切り取り
が重なって、全国的な炎上につながった
- 僕(私)の結論としては、
- 関門そのものは必要
- でも「人間の鎖」という“人間バリケード方式”は安全面・倫理面からそろそろ見直すべき
- 高校生は“盾”ではなく、“応援の主役”であってほしい
正直、あの映像を見て一番しんどくなったのは、止められて泣いているランナーでも、門の前で立ち尽くす人でもなくて、
「どんな顔をして立っていればいいか分からないまま、人の壁としてその場に立たされている高校生たち」
でした。
来年のNAHAマラソンも、「太陽と海とジョガーの祭典」として続いてほしいと心から思います。
そのためにも今回の炎上を、誰かを叩いて終わり、で流してしまうのではなく、
- 大会側は「やり方」をアップデートする
- メディアは「映える画」より「関わる人の安全と尊厳」を優先する
- 僕らランナー側も、高校生やボランティアを責めない
そんな方向に、少しずつでも進んでいけたらいいな、と思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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