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前川彰司 事件「wiki」では分からない「福井女子中学生殺人事件」冤罪と38年の軌跡

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こんにちは、あゆりんです。

前川彰司 事件 wiki」で検索してみたけど

  • 本人のWikipediaページが出てこない
  • 事件のページを読んでも、肝心な“人間の部分”がよく分からない

こんな感じになっていませんか?

先に結論をいうと、2025年12月時点でも「前川彰司」という個人名のWikipediaページはありません。

事件名のページ「福井女子中学生殺人事件」の中で、前川さんは「男性M」として匿名で扱われていて、実名を出さないよう注意書きまであります。

だからこそこの記事では、

  • Wikipediaでは見えにくいところ
  • 実際の裁判記録・弁護士会声明・報道で分かってきた“冤罪の構造”
  • 前川彰司さんというひとりの人間の38年

を、できるだけ分かりやすく、でもちゃんと感情も込めてお話ししていきます。

少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。

目次

前川彰司さんと「福井女子中学生殺人事件」概要

事件をざっくり時系列で見る

まずは全体の流れから。

  • 1986年3月19日夜
    福井市の市営住宅(東安居団地)で、中学3年生の女子生徒(15歳)が自宅で殺害される。
  • 1987年3月29日
    当時21歳の前川彰司さんが殺人容疑で逮捕。
  • 1990年9月26日
    福井地裁が無罪判決
  • 1995年2月9日
    名古屋高裁金沢支部が逆転有罪(懲役7年)判決
  • 1997年
    最高裁が上告を棄却し、有罪判決が確定。
  • 2003年3月5日
    刑期満了で出所。
  • 2004年7月15日
    第1次再審請求。いったん再審開始決定が出るも、検察の異議で取消 → 最高裁もこれを追認。
  • 2022年10月14日
    第2次再審請求
  • 2024年10月23日
    名古屋高裁金沢支部が再審開始決定。10月28日、検察が異議申し立てを断念し、再審開始が確定。
  • 2025年3月6日 再審初公判
    第二次再審請求審までに出ていた証拠だけで審理され、新証拠の請求はなし。検察は有罪論告、弁護側は無罪を主張し、即日結審
  • 2025年7月18日
    名古屋高裁金沢支部が再審無罪判決。第一審の無罪判決を維持し、検察の控訴を棄却。
  • 2025年8月1日
    検察が上訴権を放棄し、再審無罪が正式に確定。

逮捕から無罪確定まで、実に38年以上

この長さを思うと、正直、言葉が詰まります。

事件そのものはどんな内容だったのか

被害者の女子中学生に何が起きたのか

1986年3月19日。

卒業式を終えたばかりの中学3年生の女子生徒が、福井市の市営住宅で留守番をしているところを何者かに襲われました。

報道・裁判記録などから分かっているのは:

  • 場所:福井市豊岡二丁目の市営住宅(東安居団地)
  • 手口:
    • ガラス灰皿で頭部を殴打
    • 電気カーペットのコードで首を絞める
    • 自宅の包丁2本で顔・首・胸などを少なくとも20カ所以上、報道によっては約50カ所とも言われるほど刺されていた

数字に幅があるのでここは慎重に書きますが、共通しているのは「とても残忍で執拗な犯行だった」という点です。

そしてもう一つ大事なのは、この事件は今も“真犯人不明”の未解決事件だということ。

「なぜ前川彰司さんが犯人だとされたのか?」wikiでは見えにくいポイント

実は最初は「容疑から外れていた」

事件直後、警察は周囲の若者たちを幅広く捜査し、前川さんも一度事情聴取を受けています。

しかし当時は、

  • 被害者との接点が見つからない
  • 事件の日(卒業式の日)、母親と一緒に外出していたというアリバイが確認された

ことから、いったん容疑対象から外れたとされています。

ここだけ聞くと、「じゃあ何でまた?」ってなりますよね。

浮上のきっかけは「別件で捕まっていた暴力団員の証言」

流れが変わるのは、その年の秋ごろ。

覚醒剤事件などで勾留されていた暴力団組員が、

  • 「事件の夜、血のついた前川を見た」
  • 「犯行を打ち明けられた」

と証言し始めたことがきっかけでした。

ただし、後の再審で明らかになったのは、

  • この暴力団員は「減刑」を狙って捜査側に情報を売ろうとしていたこと
  • 供述内容が何度も変わっていたこと
  • その供述に合わせる形で、他の関係者の証言も“作られていった”疑いが濃いこと

です。

当時の前川さんは「非行歴のある若者」だった

FNN福井テレビなどの取材で、前川さん自身も、

  • 当時はシンナー・薬物に手を出していた
  • ケンカや恐喝など、かなり荒れた生活をしていた

と、若い頃を厳しく振り返っています。

ここからは私の感想ですが、

「素行が悪い若者」=「重い犯罪もやりかねない」

という先入観が、捜査や世間の目に影響した可能性は高いと思います。

のちに弁護士会も、「客観的証拠がないのに供述中心で組み立てられた事件」だと批判しています。

一度は無罪だったのに…裁判の流れと逆転有罪

第一審(福井地裁):無罪判決

1990年9月26日、福井地裁は前川さんに無罪判決を出しました。

主なポイントは:

  • 被告人の毛髪とされた毛髪鑑定の信用性を否定
  • 暴力団員や周辺人物の供述は変遷が激しく、客観的裏付けも乏しいとして信用できない

というものです。

ザックリ言うと、

物的証拠も薄いし、証言もアヤシすぎる。これで有罪にはできない

という判断でした。

控訴審(名古屋高裁金沢支部):逆転有罪

ところが検察は控訴。

1995年2月9日、名古屋高裁金沢支部は懲役7年の逆転有罪判決を言い渡します。

不思議なのは、

  • 「供述に変遷がある」「矛盾もある」という点自体は高裁も認めていたのに
  • 「大筋では一致している」として、結局その供述を信用してしまったこと

です。

1997年には最高裁が上告を棄却し、有罪確定。

前川さんは7年間服役し、2003年に出所しました。

ここまでの流れ、Wikipediaだと淡々とした年表で終わってしまうんですが、
人間の人生として見ると

一度『無罪です』と言われたのに、あとから『やっぱり有罪でした』

って、かなり絶望的な展開ですよね…。

再審請求という“超ハードモード”に挑み続けた20年

第1次再審請求:一度は再審開始 → 取り消し

2004年7月15日、第1次再審請求

ここで大きかったのが、

  • 検察側から95点もの新証拠が開示されたこと

これらを受けて、2011年11月30日、名古屋高裁金沢支部が一度は「再審開始決定」を出します。

ただし─これはとてもややこしいのですが─

  • 検察が異議申し立て
  • 名古屋高裁(本体)が再審開始決定を取り消し
  • 最高裁も特別抗告を棄却(=再審開始取消を是認)

という流れで、再審は“なかったこと”になってしまいます。

第2次再審請求:287点の新証拠が開示される

諦めずに、2022年10月14日、第2次再審請求

このときの大きな前進は、

  • 第1次の95点に続き、
  • さらに287点もの新証拠が開示されたことです。

内容としては、

  • 暴力団員や関係者の供述が何度も変遷していることを示す調書
  • 「事件当日見た」とされたテレビ番組の放送日が、実は別の日だったこと
  • 暴力団員に対して、寿司の差し入れなど便宜が図られていた記録
  • 現場の包丁や血痕の状況と、検察ストーリーが整合しないこと など

特に、テレビ番組の放送日は象徴的です。

  • 「あの日、テレビである歌番組を見ていたときに呼び出され、血のついた前川を見た」
  • その番組が事件当日の放送だとされ、供述の信用性の根拠にされていた
  • でも実際に放送日を検証すると「事件当日ではなかった」ことが判明

つまり、

客観的事実として供述を補強していたはずの部分が、そもそも事実じゃなかった

という、かなり致命的な話です。

「寿司」と再審無罪判決:供述がどう作られたか

暴力団員への“ご褒美”の実態

2025年7月18日の再審無罪判決や、各地の弁護士会の声明を見ると、暴力団員への“便宜”の中身がかなり具体的に書かれています。

例えば:

  • 勾留中に、本来は認められないはずの寿司の差し入れを認めていた
  • その希望に沿って、警察署から刑務所への移監を一時取りやめ
  • さらに、刑務所から警察署へまた戻すなど、特別扱いとも言える対応

名古屋高裁金沢支部の再審判決は、こうした事実を踏まえて、

こうした便宜供与は、暴力団員の「刑を軽くしてもらいたい」という不正な意図を助長し、他の関係者の供述まで「汚染」した可能性が否定できない

と認定しています。

科学鑑定だけが決め手ではない

冤罪事件というと「DNA鑑定でひっくり返った」と思われがちですが、この事件は少し違います。

たしかに、

  • 毛髪鑑定の信用性が否定されたり
  • 現場の包丁と刺し傷の数・位置が整合しないなどの指摘があったり

科学鑑定の見直しも重要なピースのひとつでした。

ただ、再審無罪の決め手になったのはそれだけではなく、

  • 新たに開示された捜査報告書
  • 証言の矛盾や変遷
  • 捜査機関による供述形成への関与

といった、供述証拠そのものの信用性が総合的に崩れたことです。

なので、「DNAだけで全部ひっくり返った事件」ではなく、

供述に依存した有罪判決の土台が、根本から崩れた事件

と理解したほうが近いです。

検察は何をした(しなかった)のか

再審公判で“新証拠なし・即日結審”

2025年3月6日の再審初公判(名古屋高裁金沢支部)では、

  • 第二次再審請求審までに提出されていた証拠以外に、新たな証拠の請求はなし
  • 検察官は有罪を主張する論告、弁護人は無罪を主張する弁論
  • その日のうちに即日結審

という形で進みました。

つまり、検察は

  • 新しい証拠を出してまで有罪を維持しようとはせず
  • すでにある証拠(=再審開始の判断を支えた証拠)の範囲で論告した

ということになります。

ここは誤解しやすいところで、

  • 「検察が冤罪を公式に認めた」わけではありませんが、
  • 実質的には、有罪を維持するための積極的な立証を諦めたとも言えます。

無罪判決後も「公式の謝罪」までは至らず

7月18日の再審無罪判決のあと、日弁連や各地の弁護士会は、

  • 再審法改正(証拠開示の義務化・検察の不服申立て制限など)
  • 検察・警察による捜査の検証と、前川さんへの謝罪

を強く求めています。

一方で、2025年末の時点で、

  • 検察・警察が「冤罪だった」と公式に認めた
  • 事件の全体検証結果を公表した
  • 直接、前川さんに謝罪した

といったニュースは、少なくとも大きく報じられてはいません(少なくとも私が調べた範囲では見当たりませんでした)。

なので、

検察は新証拠を出さず、上訴もせず、事実上は無罪判決を受け入れた。しかし、冤罪であったことを公式に認め、謝罪したわけではない。

というのが、今の状況に一番近いと思います。

冤罪と38年を生きた「ひとりの人間」としての前川彰司さん

92歳の父との再会

無罪判決や無罪確定後の報道で心を打たれたのが、

  • 福井市内の高齢者施設で暮らす92歳のお父さん(礼三さん)とのエピソードです。

前川さんの父親は、

  • 長年「殺人犯の父」という重圧を背負わされ
  • 息子の無罪が証明されないまま人生を終えるかもしれない、という不安を抱えていたはずです。

無罪が確定したあと、「良かった」「肩の荷が下りた」と涙ぐんだと報じられていますが、正直、「よかった」の一言に詰め込まれているものが重すぎて、読んでいて胸が締め付けられました。

教会・ラジオ体操・作業所…“普通の生活”を取り戻す試み

朝日新聞などの連載によると、出所後の前川さんは、

  • 教会のミサに通い
  • 朝はラジオ体操に参加し
  • 作業所で働きながら暮らしてきた

と紹介されています。

これだけ聞くと「穏やかな日常」に見えますが、その裏には、

  • 就職の難しさ
  • 「元殺人犯」として見られる視線
  • 自分の中に残る怒りや虚無感

がずっとあったはずです。

それでも日々のルーティンを作り、支援者たちと一緒に少しずつ生活を積み上げていったことを思うと、私なんかにははかり知ることができない毎日だったのではないかと、あまりの時間の長さに絶望感さえ抱いてしまいました。

大阪の集会で語った「これから」のこと

無罪確定後、大阪市で開かれた集会には50人以上の支援者が集まり、前川さんはそこで、

捜査当局は、この事件を検証し、誠意を持って謝罪してほしい

と語っています。

ここがすごく象徴的で、

  • 「自分が無罪になったからもういいや」ではなく
  • 同じような冤罪が二度と起きないように, という目線で話している

んですよね。

私だったら「もう国家とも司法とも関わりたくない」と引きこもってしまいそうですが、それでも表に立って声をあげている姿には、正直頭が下がります。

「前川彰司 事件 wiki」から一歩踏み込んで知ってほしいこと

① wikiでは実名も出ない、“匿名の男性M”

さっきも書いた通り、Wikipediaには「福井女子中学生殺人事件」のページはありますが、そこに出てくるのは「男性M」という表現だけです。

  • 実名の記載を控えるよう注意書きがされている
  • 裁判の流れや再審開始決定などは書いてあるが、「人」の部分はほとんどない

なので、「前川彰司 事件 wiki」と検索しても

  • そもそも本人のページが出てこない
  • 事件ページを見ても、淡々とした経過の羅列で終わる

という状態になっています。

この記事は、その“隙間”を埋めるつもりで書きました。

② 冤罪は「過去のミス」じゃなくて「今も続く構造の問題」

この事件について、日弁連や東京弁護士会などが強調しているのは、

  • 供述頼みの捜査・裁判(いわゆる「調書裁判」)
  • 証拠開示が不十分なまま進む再審手続き
  • 再審開始決定を、検察の異議でひっくり返せてしまう制度

といった、制度レベルの問題です。

つまりこれは、

昔の地方の警察がやらかしたレアケース

ではなく、

今の日本の刑事司法でも、同じことが起きうる

という話なんですよね。

袴田事件など、他の冤罪事件でも同じような構図が繰り返し指摘されていますし、冤罪は決して“過去の教訓”で終わっていません。

③ 「真犯人は誰だ?」とネットで推理しない、という大事なライン

そして忘れちゃいけないのが、

  • この事件は今も真犯人不明の未解決事件であること
  • 被害者の女子中学生とその家族の苦しみは、今も続いていること

です。

ネットだとどうしても、

  • 「じゃあ本当の犯人は誰なんだ?」
  • 「あの人が怪しいんじゃないか?」

みたいな“素人推理”が出てきがちですが、それをやり始めると、また別の誰かの人生を壊すリスクがあります。

私たちにできるのは、

  • 事実ベースで事件と向き合うこと
  • 冤罪がどう生まれたのかの“構造”を知ること
  • そして、同じことが繰り返されない制度を求める声に耳を傾けること

このあたりかなと思います。

さいごに:検索ワードの向こう側にいる「ひとりの人生」

「前川彰司 事件 wiki」と検索するとき、多くの人は(私も含めて)、

  • どんな事件だったの?
  • 本当に冤罪だったの?
  • 本人は今どうしてるの?

そんな疑問を持っていると思います。

Wikipediaは便利だけど、どうしても「事実の「点」の羅列」になりがちです。

実際には、その「点」と「点」の間に、

  • 15歳で命を奪われた女子中学生の人生
  • “殺人犯”とされたまま38年近くを生きた前川さんの人生
  • 息子の無罪が間に合った92歳の父の人生
  • 何十年も支え続けた支援者・弁護士たちの人生

がぎゅっと詰まっています。

この記事が、あなたにとって

「へえ、そんな事件があったんだ」

だけで終わらず、

「冤罪って、制度の問題なんだな」「ニュースを見るとき、もう一歩突っ込んで考えてみようかな」

と感じるきっかけになってくれたら嬉しいです。

私自身も、いろいろと考えさせられる事件だなと感じました。

今後の穏やかな生活を願ってやみません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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